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アルフレド・ノーベルの命日である12月10日、オスロでノーベル平和賞の授与式が行われた。
ウクライナ、ロシア、ベラルーシでの人権活動に与えられた3者の受賞者に笑顔はなく、互いの握手もない。重苦しい空気の中で行われた異例の式典で、受賞者が語った悲痛なスピーチを改めて記憶にとどめたい。
戦争犯罪の記録などを通じて人権擁護に取り組む、ウクライナの「市民自由センター」(CCL)のオレクサンドラ・マトイチュク代表はこう述べた。
「分娩(ぶんべん)室への砲撃でわが子を失った母親の苦痛は、言葉に表せない」「ウクライナ国民は世界の誰よりも平和を望んでいるが、抵抗をやめてしまえば占領されてしまう」「プーチン(ロシア大統領)ら戦犯を裁く国際法廷を設置して法の支配を機能させ、正義は存在するのだと証明しなければならない」「私たちにどのくらい時間が残されているのかは分からない。ウクライナを支援するのにウクライナ人である必要はない。人間であるだけでいい」
ベラルーシで人権団体「ビャスナ(春)」を創設して拘束中のアレシ・ビャリャツキ氏のメッセージは妻のナタリヤさんが代読した。「ベラルーシでは現在、何千人もの人々が政治的理由で獄中にいる。人々の自由への渇望は止められない」「私の理想は変わらず、色あせない。それは金の鋳物のようにさびることはない」
ロシアで人権活動を続ける「メモリアル」のヤン・ラチンスキー代表は「ソ連時代の政治的犯罪が裁かれなかったことがロシアのウクライナ侵攻を招いた」「プーチン大統領が権力の座に就いた後、ロシアは近隣諸国に明らかに敵対的になった」と批判しつつ、「私たちは侵攻を防げなかった。メモリアルは平和賞に値するのか、自問している」と述べた。
その自省がラチンスキー氏の表情を暗くし、「メモリアル」の活動を評価する「CCL」のマトイチュク氏も、目を合わせようとさえしなかった。侵略の残酷さは、志を同じくする者同士さえ、加害側と被害側に分断する。
会場の関係者らは3者のスピーチを涙しながら聴いた。これら血の叫びの前では、国内でも散見するロシア擁護論など吹き飛ぶだろう。怒りを向けるべきは、独裁者とその支持者に対してである。
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2022年12月15日付産経新聞【主張】を転載しています